公開日:2025年10月9日

「アンチ・アクション 彼女たち、それぞれの応答と挑戦」(豊田市美術館)レポート。女性のアーティストたち、その表現の多様さと差異を見せる画期的な展覧会

草間彌生、田中敦子など、日本の女性の美術家による1950〜60年代の作品を紹介。会期は10月4日〜11月30日

会場風景より、右は田中敦子《地獄門》(1965-69)

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14名の女性の美術家を紹介する注目の展覧会

「アンチ・アクション 彼女たち、それぞれの応答と挑戦」豊田市美術館で開幕した。会期は11月30日まで。

本展は、1950〜60年代の日本の女性美術家による創作を「アンチ・アクション」というキーワードから見直すもの。この言葉は中嶋泉(大阪大学大学院人文学研究科准教授)が著書『アンチ・アクション』(2019)で提唱したもので、本展は本書で展開されたジェンダー研究の観点を足がかりに、14名の美術家による作品約120点を紹介する。

【出品作家】
赤穴桂子、芥川(間所)紗織、榎本和子、江見絹子、草間彌生、白髪富士子、多田美波、田中敦子、田中田鶴子、田部光子、福島秀子、宮脇愛子、毛利眞美、山崎つる子

会場風景より、草間彌生《No. AB》(1958) ©︎ YAYOI KUSAMA 画像転載不可

「アンチ・アクション」とは何か

戦後、日本では欧米からの影響を受けながら様々な前衛美術が花開いた。従来の戦後日本美術史では、それらを牽引した重要作家として名前が挙げられるのはもっぱら男性のアーティストたちであったが、じつは1950〜60年代にかけて、抽象美術の分野では多数の女性作家たちが活躍していた。敗戦直後の女性解放や女性の社会進出の機運の高まりと呼応するように、彼女たちは同時代の美術雑誌でも取り上げられ、評価の機会を与えられることもあった。しかし時代が下るに連れて、その存在の多くは美術史からこぼれ落ち、忘れ去られることになる。それはなぜか。

中嶋の『アンチ・アクション』は、フェミニズム美術やジェンダー理論の観点から、世界的な美術動向や、日本の美術批評の男性中心的なあり方をはじめとする様々な要因をつぶさに検証しながらこうした問いに迫る。そして、とくに草間彌生、田中敦子、福島秀子にフォーカスし、綿密な調査のうえでそれぞれの創作をひもといた1冊だ。今年9月に筑摩書房より刊行された増補改訂版では、多田美波に関する補論を付して文庫化されているので、詳しくはぜひ本書を読んでほしい。

会場風景より、手前は草間彌生《チェア》(1965) ©︎ YAYOI KUSAMA 画像転載不可

タイトルにもなっている「アンチ・アクション」について、中嶋は本展カタログで以下のように書いている。

「アンチ・アクション」とは、日本では男性の美術家を中心に語られてきた「アンフォルメル絵画」や「アクション・ペインティング」に対し、女性の美術家たちの反応や応答、異なる制作による挑戦を論じるために筆者が考案した用語である。

「アンフォルメル」は、フランスを中心に興隆した美術運動で、1950年代末に日本でも熱狂的に受け入れられた。国際的な拡散に大きな役割を担ったのは、フランスの美術評論家ミシェル・タピエ。アンフォルメルとは「非定形」という意味のフランス語で、こうした潮流に位置づけられる絵画は、奔放なタッチや厚塗りされた絵具の物質性、作家の身体の身振りや速度、作家の激しい感情表現を感じさせるといった特徴が挙げられる。タピエは日本滞在中に、日本の前衛美術家たちと交流しアンフォルメルを広め、さらに田中敦子や福島秀子といったほとんど無名の女性アーティストを高く評価した。こうした国際的な評価によって、女性の美術家の存在感はにわかに高まったものの、「アンフォルメル旋風」がタピエの独善的キャンペーンとみなされ短期間でブームが去ると、女性たちへの評価も忘れ去られることとなった。

会場風景より、榎本和子の作品。左の《不詳》(1960)はアンフォルメルの特徴を持った作品。いちばん右の《断面》は1951年の作。本展ではこのようにひとりの作家の作風の変遷も見ることができる

続いて日本の前衛美術シーンに大きなインパクトを与えたのが、「アクション・ペインティング」だ。アメリカから広がったこの美術動向では、ジャクソン・ポロックが激しい身振りで絵具を滴らせた絵画に代表されるように、イメージそのものよりも「プロセス」や「痕跡」にこそ価値が置かれるようになった。日本では、たとえば白髪一雄(本展出品作家である白髪富士子の夫)が、床置きにしたキャンバスに絵具を乗せ、天井に吊ったロープにぶら下がりながら足で描くフットペインティングを生み出し、脚光を浴びた。このように、マッチョで英雄的な身振りが期待されるアクション・ペインティングの盛り上がりのなかで、女性の美術家たちはさらに取り残されることになったのだ。

会場風景より、赤穴桂子の作品

しかし、女性の美術家たちは、それぞれ独自の創作を諦めたわけではなかった。著書のなかで中嶋は、「アンチ・アクション」という言葉について、「三人の画家(注:草間、田中、福島)に共通して見ることのできる、『アクション・ペインティング』に抵抗する意識や、『アクション・ペインティング』と自分の作品を差別化しようとする態度を指している」(『増補改訂 アンチ・アクション』、p24)と説明する。

会場風景より、左が田中敦子《Work 1963 B》(1963)、右が山崎つる子《作品 Work》(1960)

そして本展は、この「アンチ・アクション」という考えをさらに同時代の複数のアーティストの作品へと広げて検証し、それぞれの特異性、個別性を紹介する展示となっている。学芸担当である豊田市美術館の千葉真智子学芸員は、「アンチ・アクション」という言葉について、さらにこう付け加える。

「“アンチ”と付いていることで、たんに『反アクション』というような意味に誤解されてしまうかもしれないが、そうではない。アクション/行為をすべて否定しているのではなく、たとえば間接的なかたちで行為の痕跡を残したり、『アクション・ペインティング』とはまた違うやり方を示している」(千葉)

千葉真智子学芸員

それぞれの「描き方」「表現方法」「素材使い」にこそ注目

千葉の言葉をわかりやすく示すひとつの例が、福島秀子の「捺す」という技法だ。

福島は前衛美術集団「実験工房」に参加し、衣装をはじめとする複合的な美術を手がけていた。絵画作品では、初期には人体のイメージを画面に登場させていたが、次第にその作品は抽象度を高めていく。

会場風景より、福島秀子の作品
会場風景より、福島秀子《作品5》(1959)

そして、アンフォルメルの展覧会に出品していた頃には、「アクションの人」と呼ばれることもあったという。確かに福島の大型の作品には、大胆な絵具のストロークや身体的な動きの跡が感じとれる。いっぽうで、画面には複数の円が反復して配置されているのも見える。これは、瓶などの縁にインクをつけてスタンプのように「捺す」ことで生み出されたものだ。この「捺す」というのも、ひとつの「行為」であるという点では「アクション」だと言える。しかし、アクション・ペインティングの絵具が、しばしば画家の動作の痕跡として半ば偶然的な線や形を生み出すのとは対照的に、「捺す」ことでできる円はより機械的にコントロールされ、画面の動きを遮るようにして配置されている。このような技法には、当時の男性優位な美術動向に応答しつつ、それとはまた違う自分なりの方法を示そうとした、福島の姿勢が見て取れるだろう。

会場風景より、福島秀子《ホワイトノイズ》(1959)、「捺す」技法が見える部分

本展が扱う抽象表現は、何が描かれているのかモチーフが読み取れないため、どこをどう見ればいいのかわからない……といった感覚を抱く人もいるかもしれない。しかし、その画面や表面ををよくよく見るだけでも、それぞれの美術家がじつに多様な方法で作品を生み出していることがわかる。技法の違い、素材の違い、それらの扱い方の違い、その方法を生み出した考え方の違い。そうした差異や独自性に気づいたり、読み取ることが、本展における大きな面白さとなっている。

たとえば白髪富士子。のちに自身の制作をすっぱりと辞め、一雄の制作のアシスタントに専念するようになるが、それ以前に手がけていた作品は、静謐さとともにダイナミックな激しさを秘めていて興味深い。長い1枚の板を自らノコギリで切って分割し、空間による線を創り出した《白い板》(1955/1985)。また絵画《作品 No.1》(1961)をよく見ると、その表面には大胆にガラス破片が塗り込められている。

会場風景より、手前が白髪富士子《白い板》(1955/1985)、奥中央が《作品 No.1》(1961)。左は田部光子《繁殖する(2)》(1958-88)、右が江見絹子《空間の祝祭》(1963)
《作品 No.1》(1961)の部分

白髪や田中と同じく前衛美術家グループ「具体美術協会」に参加した山崎つる子は、戦後に出回ったカラフルなブリキ製のオモチャに触発され、自らの作品にもブリキを用いたことで知られる。《作品 Work》(1957/2001)では、ブリキのオブジェに色の付いた照明を当てることで染め上げたユニークな作品だ。こうした作品の背景には、街灯やカラフルな看板などによって人工的な彩りを増した戦後の都市の光景や、様々な新素材が入手できるようになったことなどがある。

会場風景より、山崎つる子《作品 Work》(1957/2001)

新素材という点では、田部光子の作品も興味深い。道路の補修などに用いられるアスファルトピッチに輪切りした竹筒を漬けて画面に貼り付けたり、《作品》(1962)ではピンポン玉を円形に敷き詰めたまわりに、主婦の労働を想起させるアイロンの跡を配置して花のようなイメージを生み出した。芥川(間所)紗織が平面作品で使った染色技法は、伝統的なものではあるものの、絵具で「描く」のとはまた違う方法で前衛的な絵画を生み出したという点で特筆に値する。

会場風景より、壁面の右から3点目が田部光子《作品》(1962)

多田美波による大型の立体作品は、アルミを叩くことで造形される。それは一種の激しいアクションのようにも思えるが、実際は、伝統的な蝋型鋳造による彫刻ではどうしても残ってしまう「手の痕跡」を排除するために考案された手法だったという。しかも、メタリックな彫刻は一見重そうに見えて、じつは非常に軽いのだという。重厚感ある彫刻が持つマッチョなイメージを、ひらりとかわすようなトリック。アルミという素材と独自の技法が、ほかにない表現を生んだ。

会場風景より、多田美波の展示
会場風景より、多田美波《周波数37303055MC》(1963)部分

作品にフォーカスする展覧会構成

本展では、鑑賞者がそれぞれの作品とじっくり向き合い、さらに作品同士のあいだにある関連や差異にも意識が向くように、会場構成の工夫が凝らされている。

まず展覧会は、小さめの展示室から始まる。ここには、14名の作家の作品が1点ずつ、ダイジェスト的に展示されているのに加え、本展が扱う時代の年表が掲示され、当時の美術家たちの活躍や批評がどのようなものだったのかが説明される。また、展覧会に関わる様々なキーワードなどを解説した冊子(「別冊 アンチ・アクション」)が置かれており、鑑賞者は持ち帰ることができる。

会場風景
小冊子(「別冊 アンチ・アクション」)

テキストによる「説明」的な役割はこの展示室に集約されているのが大きな特徴で、作品が並ぶメインの展示室には、章立ても解説パネルも、壁面の作家名の表示も一切ない。1点ずつ作品のキャプションが添えられてはいるが、言葉による説明は潔く省かれている。

また、複数の作家の作品が同時に目に入るよう、展示壁はところどころ斜めに配置され、見通しがいい空間になっている。展示の冒頭は、芥川(間所)紗織の作品が並び、その向かいには毛利眞美の作品が並んでいる。両者とも抽象表現へと至る前に、人体を描いていたことがあり、そうした類似性が暗に示されている。

会場風景より、左が芥川(間所)紗織の展示
会場風景より、毛利眞美の作品

また、福島秀子の作品の向かいには、福島と非常に親密な間柄であったという榎本和子の作品を配置。ふたりはお互いの制作について理解しあっていたのみならず、福島が晩年病に倒れたとき、榎本が献身的な介護で支えた(ということが、小冊子で説明されている)。女性の画家を扱う展覧会では、しばしばその夫など男性のパートナーの存在について説明される傾向があるが、本展はそうした男女間のパートナーシップに回収されがちな女性の美術家のストーリーを退けている。

会場風景より、左手前が福島秀子、右手前が榎本和子の作品

また、同時代を生きた作家たちの、作品同士のネットワークを見てとることができる。草間彌生のネットペインティング《No. AB》(1958)はその大きさからも一際目立つ作品だが、同時にその奥には田中敦子の《地獄門》(1965〜69)が見える。《No. AB》の展示壁の裏側にまわると、草間のほかの作品が、赤穴桂子や福島秀子の作品と一緒に目に入るように配置されている。ネットペインティングに象徴されるように、草間の創作において重要な「反復」という行為は、電気のネットワークを線と円の反復で描いた田中や、複数の円を画面に登場させた福島、赤穴といった美術家たちとも共通する。

会場風景より、手前が草間彌生《チェア》(1965)©YAYOIKUSAMA 画像転載不可、壁面の左2点は福島秀子、右2点は多田美波の作品

ひとつの作品に近づいて、扱われている素材や表現の工夫に目を凝らすのもよし、時には引いた視点から周囲のほかの作品とともに見るのもよし。鑑賞者が自分なりの見方で楽しめるのが本展の魅力だ。ぜひ会場に足を運んで、従来の美術史のあり方に一石を投じる画期的な展覧会を体感してほしい。

会場風景より、宮脇愛子の作品
会場風景より、江見絹子の作品

なお、Tokyo Art Beatでは、本展の巡回3館の担当学芸員である、千葉真智子(豊田市美術館学芸員)、成相肇(東京国立近代美術館主任研究員)、江上ゆか(兵庫県立美術館学芸員)の座談会インタビューを実施。後日公開予定なので、こちらもお楽しみに。

福島夏子(Tokyo Art Beat編集長)

福島夏子(Tokyo Art Beat編集長)

「Tokyo Art Beat」編集長。『ROCKIN'ON JAPAN』や『美術手帖』編集部を経て、2021年10月より「Tokyo Art Beat」編集部で勤務。2024年5月より現職。