フレスコ画をストラッポ技法で剥離し、布素材の構造体に再構築した屋外インスタレーション。
2023年にスタートし、今年で3回目を迎える「アートサイト名古屋城」は、史跡・名古屋城が取り組む「保存と活用」の視点から生まれた、サイトスペシフィックなアートプロジェクト。 今年のテーマは「結構のテクトニクス」。名古屋城の建築構造(テクトニクス)に着目し、フレスコ画の技法を軸に活動してきたアーティスト・川田知志を迎える。家屋の構造物に由来する「結構」(最善を尽くして物を作る意)を重ね、名古屋城が培ってきた技術と表現を現代に置き換える。
今年は、フレスコ画を軸に古典から現代まで多様な描画技法を探求してきたアーティスト・川田知志によって、御深井丸エリアに実寸大(1/1スケール)の本丸御殿が出現。川田は名古屋城本丸御殿の建築構成と狩野派によって描かれた障壁画をリサーチし、自身の視点で新たにフレスコ画として描き出した。これらのフレスコ画は、京丹後のスタジオで制作されたのち、修復技法のひとつである「ストラッポ」(描画層のみを壁から剥ぎ取る)技法を用いて名古屋城へと運び、屋外インスタレーションとして再構築した。本プロジェクトは、装飾としての壁画を独立した構造物として立ち上げる試みである。

アートサイト名古屋城は、これまで「保存」と「活用」というふたつの柱のもと、名古屋城が蓄積してきた技術と文化を現代の創造へとつなげてきた。3年目の本展では、改めて“作ることの根本”を問う。
積み上げられた礎石、組み上げられた木組み。それらはすべて、時間をかけて磨き上げられた“結構”のかたちである。そして、風を通す柔らかな布の壁もまた、過去と現在、装飾と構造のあいだに新しい風景を描き出す。名古屋城という歴史の身体の上で、川田知志は現代アートとしての構築術=テクトニクスを実践している。

川田が今回の制作で用いたのは、透けるように柔らかな布。風を通し、向こう側まで見通しが良く、光を受けて揺れるその素材には、かつて屏風の前に座る位置や立場にまで厳密な作法があった日本の空間文化を現代的に読み替える視点がある。
「堅苦しい決まりを取り払おうと思ったとき、自然と、柔らかくて風通しのよい、向こうまで見通せる素材に行き着いた」と川田は語る。
かつて屏風が人と人のあいだに境界をつくったように、空間の格を定めてきたものを、川田は透過的な構造に変換する。風と光が抜けることで、見る者と作品のあいだに新しい関係が生まれる。“風通しのよさ”は、たんに空気の流れではなく、人と空間を隔てずに結び直すための方法でもあると言えるだろう。


「壁画というのは、もともと“壁があってこそ”描けるものなんです。でも今回は、何もない空間から構造を立ち上げて、そこに壁画を成立させている。装飾としての壁画から、構造としての壁画へと意識が変わっていった。いまは、建築を支えるひとつの要素として、壁画そのものが立ち上がっている。柔らかい素材でありながら構造を支える、そこに今回の新しい発見がありました」

彼が言う“構造としての壁画”とは、物理的な支えであると同時に、現代に適した空間を立ち上げる思想そのものだ。フレスコ画とストラッポ、御深井焼の陶板といった素材の重なりは、装飾を超え、空間を建築として再構成していく。

2022年、川田は愛知県陶磁美術館の展覧会「ホモ・ファーベルの断片—人とものづくりの未来—」に参加し、瀬戸の街をモチーフに陶板壁画を制作した。制作期間に瀬戸の街を歩いていた際、かつての“製陶所”の空き地が突然現れ、足元には陶片が転がっていたという。
「瀬戸の空き地を歩いていて、失われた場所がまた息を吹き返すような瞬間を感じました。今回の作品も、その延長にあると思います」と川田。
土の中に眠っていた記憶が少しずつ姿を現すように、名古屋城に積み重ねられた技術や構造が、いま新しいかたちで蘇る。

川田の作品の根底には、「移す」という行為への探究がうかがえる。フレスコ画を剥がして移動させるストラッポのプロセスは、記録を再生することではなく、空間と記憶を新たに編み直す試みである。
「壁画を“移す”という行為から学ぶことは、意外と多いんです。触れて、剥がして、運ぶことで、ものの硬さや重さに気づく。昔の人は町をまるごと移したこともあったそうです。今回は本丸御殿を“広がり”に移す。元の意味を失っても、それでいい。9日後、幻のような跡だけが静かに残る。それがこの作品の余韻なんです」

“移す”という行為は、過去をなぞることではなく、次の場所であらたに立ち上がるための試みだ。壁を剥がし、布を揺らし、風とともに新しいかたちをつくる。そこには、時間を超えて受け継がれてきた技術や美意識が、現代の光の中で再び息づいている。歴史ある名古屋城を舞台に、川田知志は“結構のテクトニクス”を通して、過去と現在、そして創造の未来を作り出した。