下村観山 弱法師 右隻 1915(大正4) 重要文化財 東京国立博物館 Image: TNM Image Archives
日本画家・下村観山(1873〜1930)の、関東圏では13年ぶりとなる大規模な回顧展「下村観山展」が、東京国立近代美術館で開催される。会期は2026年3月17日から5月10日まで。

下村観山は紀伊徳川家に代々仕えた能楽師の家に生まれ、橋本雅邦に学んだ後、東京美術学校第一期生として入学。卒業後は同校で教鞭を執ったが、校長の岡倉天心とともに辞職し、日本美術院の設立に参加した。岡倉の指導のもとで横山大観、菱田春草らと新時代にふさわしい日本美術の道を切り拓いた。

古画の模写・模造事業への参加やイギリス留学・欧州巡遊を通して技術力に磨きをかけ、《木の間の秋》(1907)、《小倉山》(1909)といった作品では、やまと絵や琳派の伝統的な技法と西洋画由来の写実的な表現を融合させた革新的な成果を示した。本展では観山の代表作により画業を通観するとともに、最新の研究成果も盛り込みながら、日本の近代美術史における観山芸術の意義を改めて検証する。


本展では観山の代表作が一堂に会し、その多彩な創作活動の軌跡を辿ることができる。たとえば、河内国・高安の里を舞台とした能楽「弱法師」のクライマックスシーンを描いた重要文化財《弱法師》(1915)では、盲目となった俊徳丸が父とは知らず勧められて日想観を行い、かつて肉眼で見た美しい難波の浦の景色を心の目で「見える、見えるぞ」と思い起こす瞬間をとらえている。


いっぽう、三十三観音のひとつである魚籃観音を描いた《魚籃観音》(1928)では、観音や両脇の男性らに西洋画的な陰影表現を駆使。とくに発表当時賛否両論を巻き起こしたのが、レオナルド・ダ・ヴィンチの《モナ・リザ》を思わせる顔立ちの観音だった。留学から20年を経た当時、観山があえてモナ・リザと分かるような顔を描いた意図についても検証される。

新しい日本の絵画には色彩の研究が必要だと考え、日本画家初の文部省留学生としてイギリスへ留学した観山。今回は現地で親交を深めた小説家で東洋美術研究家のアーサー・モリソンに贈った大英博物館蔵の自作が初の里帰りを果たす。

観山のヨーロッパ巡遊を伝える文字資料はほとんど残されていないが、師・橋本雅邦や母に送られた便りが、異国の地での奮闘ぶりを生々しく伝えている。手紙には、美術館で古今の名画に接する喜びと同時に自分の未熟さを思い知らされる、身の引き締まる思いで日々を送る様子が綴られている。

関東では13年ぶりの大規模回顧展として、観山芸術の全貌を体感できる貴重な機会となりそうだ。
