下村観山 唐茄子畑 1911 東京国立近代美術館蔵
狩野派、やまと絵、琳派、そして西洋絵画。絵画の領域を自在に横断しながら、近代日本画の地平を切り拓いた画家・下村観山(1873〜1930)の回顧展「下村観山展」が、竹橋の東京国立近代美術館で開催されている。会期は3月17日から5月10日まで。
同館の開催を経て、和歌山県立近代美術館へも巡回予定(5月30日〜7月20日)。関東では13年ぶり、観山の生地でもある和歌山および関西ではじつに45年ぶりとなる大規模な展覧会だ。
観山は紀伊徳川家に仕えた能楽師の家に生まれ、狩野芳崖・橋本雅邦に師事したのち、1889年に東京美術学校(現・東京藝術大学)の日本画科へ第一期生として入学した。校長・岡倉天心の薫陶を受け、卒業とともに助教授に就任。天心が校長職を辞すと観山も同校を去り、日本美術院の創設に参画した。横山大観、菱田春草とともに、いわば「新時代の日本美術」を担う中心的な作家として活動した人物である。本展は2部構成で、「生涯」「芸術」「社会」という3つの角度から観山の仕事をひもといていく。

第1部は観山の生涯を4章に区切り、年代順に画業を追う。展覧会の冒頭では、美術学校時代から日本美術院初期の作品が並ぶ。ここで注目したいのは観山が27歳で描いた《春日野》(1900)だ。春日大社の神鹿を描いたと思われる本作には、当時大観・春草らと試みていた「朦朧体」——線を使わず、色の濃淡とぼかしで対象を描く技法——が用いられており、細かい線描による柔らかな毛並みの表現と相まって、独特のおおらかさを醸し出している。


続く第2章では、1903年から2年間にわたるイギリス留学の成果が紹介されている。日本画家として最初の官費留学生として渡英した観山は、日本画との親和性を持つ水彩画を研究するとともに、各地の美術館で西洋絵画の模写にも取り組んだ。たとえば《〈小椅子の聖母〉(ラファエロ)の模写》(1904)はその代表例で、水性絵具を用いて油彩画の表現に迫ろうとした跡が見える。

また留学中、観山は日本美術の収集・研究家である作家アーサー・モリソンと親交を結んだ。大英博物館には観山がモリソンに贈った作品が8点所蔵されており、本展ではそれらも紹介される。
