公開日:2026年3月25日

【新連載】名前のない美術史:この10年と100年のアート #0。批評と表現が交差する「弱くて良い場所」(文:布施琳太郎)

この10年の美術に何が起きたのか? アーティストとして活躍する布施琳太郎の新連載がスタート。(構成:灰咲光那)

メインヴィジュアル:星加陸

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「美術の起源」ではなく動作環境を考える

この連載批評の目的は、この10年の美術に何が起きたのかを「名前の不在」という観点からまとめることである。そんな「まとめ」のために1920年代から2020年代の100年をタイムトラベルのごとく飛び回りながら歴史化していく。

第0回となる本記事では、執筆の前提となる批評の態度について整理する。(美術に限らず)いま批評とは何か?に応えることが今回の目的だ。前半では美術批評の先人として中原佑介(1931〜2011)と椹木野衣(1962〜)を振り返り、後半では、このふたりの言説を奇妙なソーシャルメディアアカウントが2010年代に行った表現と批評から再構成する。

椹木野衣 『日本・現代・美術』 ちくま学芸文庫  1998/2025

当たり前のようだが、美術とは、音楽や映画、文学、演劇、マンガ、ゲームなどと同じように「制作・発表・鑑賞」が絡み合った文化のジャンルのひとつである。つまり、たんなる理念ではなく現実的な制度なのだ。そして日本における美術制度の起源にさかのぼろうとする言説こそが、これまで美術批評として繰り返し書かれ、読まれてきた。

そうした言説は研究としての価値がある。だが本連載は美術制度の起源を問うものではない。実際にいま活動しているアーティストたちが制度的な起源を意識して、それを前提に制作しているのかと言えば、そんなことはないからだ。しかし、それらが歴史と断絶されているわけでもない。各自が自分にとって重要だと思える事例に向き合っているのが現状だろう。美術は美術史の蓄積だけに規定されているわけではない。しかし過去が記憶されず参照されにくくなっているのも事実であり、それは不健康である。そんな今日の状況を再構成するために、同時代の表現者たちが前提とするインフラ、つまり「制作・発表・鑑賞」を成り立たせる動作環境(プラットフォーム)にこそ着目して連載を進めたい。動作環境の設計思想と影響の変遷を辿るなかで美術史の再構成を試みたい。

今日の美術は……いや、あらゆる表現は、スマートフォンやパソコンといったコンピュータ群が織りなすネットワークのなかで制作され、発表され、鑑賞される。先行事例やリファレンスが気になる表現者は、検索したり、生成AIに質問する。さらに言えば、あらゆる表現を画像や動画として表示するスクリーンのなかには、日常的な買い物から仕事、教育、行政手続き、ニュースのチェック、政治活動、恋愛までが折りたたまれている。すべては指先の動きだけで実現される。

連載を通じて、美術への関心のなかで問われるのは、今日の表現全般を下支えしている技術と思想である。まずはその重要な参照項である「サイバネティックス」について、ひとりの人物から辿ってみたい。

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