「獸(第3章/EDGE)」(2025)会場風景 竹久直樹 画像提供:CON_
本稿は、アフターコロナの文化を「バイブス」という語から解釈することを目的としている(*1)。バイブスとは、正確な意味や説明、文脈を超えて共有される関係の感覚のことである。それは表現者と鑑賞者、作品と素材、ギャラリーとクラブ、ストリートといった区別に先立って、表現を「感じる」ことを可能にする。飲み会やクラブで「バイブスあげてこ」と言えば、多くの場合、細かな説明なしに何を求められているかが伝わる。それは離れていたはずの人間や場所やメディアを、ひとまず同じ場に乗せてしまう接続の技術なのだ。
英語の「vibe/vibes」は「vibration」の短縮として1960年代後半にスラング化していたが、その後の音楽文化やインターネット文化のなかで、「雰囲気」「波長」「言語化しにくい感触」を指す語として広く定着しという(*2)。近年はAIを用いた日常言語によるアプリケーション開発、プログラミングなどが「バイブ・コーディング」と呼ばれている。現状に即してまとめれば、バイブやバイブスとは、専門性や高度な技術、リテラシーを超えて、本来はバラバラなものをつなげながら方向づける技術である。つまり本稿は、ソーシャルメディア、プラットフォーム、アーキテクチャなどの内側を自由に横断する技術として「バイブス」を位置付けることで、バイブスの歴史を立ち上げる試みである。作者や作品といった固有名ではなく、知覚と接続の技術としてのバイブスから文化の景色を描く。
コロナ禍はバイブスの歴史において決定的だった。感染対策は、距離、接触、滞在、移動、収容人数に基づいて空間を管理し、人々を分離し、身体の配置そのものを統治の対象にした。公衆衛生の観点からなされた感染対策では「どこにいて、誰といて、どれだけ近づくか」が細かく規定され、空間は生権力的に編成し直された。日本国内では罰則規定による行動の制限というよりも「自粛要請」というかたちで飲食店や商業施設などの営業時間短縮、休業がなされた。言ってしまえば「空気を読め」ということである。
だからこそ、コロナ禍における空気の管理を迂回しながら別の接続を作るものとして、バイブスが重要になったのである。クラブに行かないまま音楽が共有され、展示空間が閉じたまま画像や短尺動画が流通し(*3)、直接会わなくとも投稿、配信、ミーム、ダイレクトメッセージが「一緒にいる感じ」を仮構した。これから論じるバイブスの事例たちに通底するのは、内容の伝達を超えて接続そのものを成立させる、振動の論理である。