会場風景より、手前から、石原友明《世界。》(1996)、小谷元彦《Phantom-Limb》(1997)
展覧会「セカイノコトワリ―私たちの時代の美術」が、京都国立近代美術館で12月20日に開幕した。会期は2026年3月8日まで。
本展では、世界のグローバル化が進み、日本人作家の海外での発表の機会が増えた 1990年代から2025年までの美術表現を中心に、20名の国内作家による実践を紹介する。担当学芸員は牧口千夏(京都国立近代美術館)。
【出品作家】
青山悟、石原友明、AKI INOMATA、小谷元彦、笠原恵実子、風間サチコ、西條茜、志村信裕、高嶺格、竹村京、田中功起、手塚愛子、原田裕規、藤本由紀夫、古橋悌二、松井智惠、宮島達男、毛利悠子、森村泰昌、やなぎみわ
展覧会タイトルの「セカイノコトワリ」には、「外来語や新しい概念をカタカナで表記するように、未知のものに対して解釈や意味づけを保留しつつ自らの思考を更新していく態度」という意味が込められているという。
牧口は「不安定な社会を生きるうえで大事なことはなんだろうと考える際に、ヒントを与えてくれる作品と出会う展覧会になれば。展覧会や美術館がそのような“世界の真理のようなもの”に触れる場所であってほしい、芸術はそんな役割を持っているのではないか、ということを、このタイトルに込めた」と話した。
本展は、美術館と民間企業であるメルコグループが共同で主催している点も特徴のひとつだ。PC周辺機器メーカーのバッファローを傘下に持つ同じグループは、芸術の公共的価値に資する活動を展開しており、牧寛之社長は「anonymous art project」を通じて、作品収集や展示、国公立美術館への寄贈などを行ってきた。
京都国立近代美術館の福永治館長は、共催の背景として美術館の苦しい経済的事情を挙げ、「ある意味、新しい事業モデルの展覧会」だと位置づける。同社からの支援は数千万円単位にのぼるという。
また96点の出品作のうち、39点が京都国立近代美術館の所蔵作品となり、2020年代以降、国立美術館の現代美術支援の方針に基づいて日本の現代美術の収集を積極的に進めてきた同館の成果を示す場ともなっている。東京の国立新美術館では同時期の日本のアートシーンに焦点を当てた「時代のプリズム:日本で生まれた美術表現 1989-2010」が12月8日まで開催されていたが、本展では関西のアートシーンに比重を置いた作家選定もなされており、福永館長は「時代は重なるが、内容はかなり違うものになっていると思う」と語った。
展示にあたっては、美術館のコレクションやこれまでの同館での展覧会を踏まえ、「日常」「アイデンティティ」「身体」「歴史」「グローバル化社会」といったキーワードを抽出。1990年代から2025年という時間軸は、「失われた30年」と呼ばれる時期とも重なり、社会の変化とともにアーティストたちがいかに社会と向き合い、表現してきたのかを、それらのキーワードを手がかりに読み解いていく。
会場は「ひとつの島から次の島へ渡る」ように、テーマやモチーフに応じて作品同士がゆるやかにつながる空間構成になっている。
その出発点となる1階ロビーの吹き抜けには、毛利悠子のキネティックなインスタレーション《パレード》(2011〜2017)が展示されている。テーブルクロスの図案を譜面として読み込み、電流に変換することで、楽器や日用品が音を奏でながらユーモラスに動き出す。

3階の最初の展示室では、日常の脆さや壊れといったテーマのもと、竹村京、藤本由紀夫、宮島達男の作品を展示。
「修復された……」と題された竹村の作品は、壊れた日用品を白のオーガンジーで包み、器の傷跡をなぞるように刺繍を施すシリーズ。貯金箱やコーヒーカップ、砂時計など、壊れて時間が止まったかのような物の表面を柔らかな糸が静かに走る。
藤本の《SUGAR I》(1995)は、1995年の阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件を契機に着想された作品だ。1分間に1回転するガラス管の中で、詰められた角砂糖が少しずつ音を立てて崩れていく様子は、日常の壊れやすさや、日常と異変の地続き性を伝える。木製キューブを縦に積み重ねた《ON THE EARTH》(2000/2025)もまた、崩れることを前提にした不安定な構造が、震災の記憶を想起させる。
続く展示室では、21年ぶりの再展示となる石原友明のインスタレーション《世界。》(1996)が空間を照らす。シャンデリアは人工的な太陽として光を放ち、鏡面となった床には「ひかりで おおいかくされた みえないまなざし。」「えがかれた ことば。」といった言葉が点字で刻まれている。鑑賞者は靴を脱いで床面に上がることができ、床に映る自らの身体や点字の凹凸によって感覚を揺さぶられる。
1980年代から多様な素材で構成される寓意的なインスタレーションを発表している松井智惠の「LABOUR」シリーズ(1993)は、「彼女は労働する」などのテキストと透明な階段、辞書、鏡、『赤ずきん』を彷彿させる赤いマントなどが象徴的に配置され、鑑賞者を物語性のある空間へと導く。「LABOUR」シリーズは、オリジナルが完全なかたちで現存する松井の稀少な作例のひとつ。こうした作家の記念碑的なインスタレーションの再展示も本展の見どころとなる。

さらに、内部が空洞である陶磁器と人間の身体との共通点を見出し、開口部に息や声を吹き込むパフォーマンスも行う西條茜の陶作品や、松井が階段をゆっくりと這い降りる様をとらえた実験的な映像インスタレーション《HIMARA-KAIDAN》(2003)などを通して、「身体」というキーワードが立ち上がる。古橋悌二による《LOVERS-永遠の恋人たち》(1994)には、 歩いたり、走ったり、すれ違ったりする裸の男女が映し出され、その身体は半透明で重なり合い、現代人の身体や愛の脆さが示唆される。

また、キスをするふたりをマスクで表現した青山悟の《喜びと恐れのマスク(Kissing)》(2020)は、コロナ禍の記憶をとどめている。
高嶺格は、自身のパートナーとの関係を起点にした《Baby Insa-dong》(2004)を出展。2003年の展示「在日の恋人」の続編的な作品となり、「あなたのその、在日に対する嫌悪感は、なんやの?」というパートナーの問いに答えようとする作家と彼女の会話やモノローグのテキスト、結婚式の様子を記録した写真、余興で登場するドラァグ・クイーンの映像などで構成される。フィルムロールのように連続する写真とテキストを通して、歴史や国家、アイデンティティへの問いが私的な語りのなかで展開する。
田中功起は、本展に際し新作《10年間》(2025)を発表。本作は2015年に高校生を対象に行ったワークショップを記録した《一時的なスタディ:ワークショップ#1「1946-52年占領期と1970年人間と物質」》の続編にあたるもの。《一時的なスタディ:ワークショップ#1》では、レクチャーやディスカッションを通じて、会場となった京都市美術館の歴史や、米軍基地を巡る問題などと参加者の個人的経験をゆるやかに接続することを試みた。当時の高校生たちが10年後の2025年にふたたび集った《10年間》では、国際紛争やデモなど現代の社会状況についてそれぞれの立場で10年を振り返りながら話し合う様が映し出される。

さらに日系ハワイ移民の文化や歴史を背景にした原田裕規の「シャドーイング」シリーズや、西陣織の職人と協働により、日本の鎖国や明治維新の歴史をモチーフとした手塚愛子の織物作品《閉じたり開いたり そして勇気について(拗れ)》(2024)もまた、近代日本の歴史や移民の記憶を参照した作家独自の表現の試みだ。風間サチコの「McColoniald」シリーズは、「マクドナルド+Colonial」を組み合わせた造語を冠し、植民地主義やグローバル資本主義を風刺的に問い直す。
また、笠原恵実子の「OFFERING」シリーズは、様々な形状の貯金箱のオブジェと、世界85ヶ国のキリスト教教会にある貯金箱を撮影した写真作品から構成される。信仰という聖なるものと、金銭という世俗的なものが共存する「容れ物」を通して、グローバル化した社会のなかの「制度」や「価値」を問い直していく。

1990年代から現代まで、社会に呼応してきた多様な美術表現が集う本展。不確かさを抱えた時代にどう向き合い、どう生きるのかをあらためて考えるきっかけを与えてくれるだろう。なお本展は愛知県美術館への巡回も予定されている。