左:原田裕規(編著) 『ラッセンとは何だったのか?(フィルムアート社、2013) 右:篠田節子『青の純度』(集英社、2025)
直木賞など数々の受賞歴がある篠田節子の小説『青の純度』(集英社)について、アーティストの原田裕規が書評を執筆し、共同通信から全国各紙に配信されたほか、本人のホームページでも公開されている。
そのなかで原田は、本書のテーマや主人公の行動が、自らの研究や著書、立ち位置と重なるものがあると指摘している。以下、書評の冒頭を引用する。
本書(注:『青の純度』)に登場する「マリンアートの巨匠ヴァレーズ」は、バブル期に海中画で大衆の心を掴み、一方で美術界からは黙殺された画家であるとされています。
ある時期からその商法が問題視され、忘れられた画家となっていたヴァレーズ。その作品を商法と切り離して再評価する書籍を著そうとする人物が本書の主人公です。
以上を一読しただけで明らかなように、ヴァレーズのモデルは実在する画家クリスチャン・ラッセンであり、「その作品を商法と切り離して再評価する書籍を著そうとする人物」には、同様の企図のもとラッセンを再評価する書籍を何冊も著してきたぼく(原田裕規)の立ち位置が重ねられます。
しかし本書にはラッセンや拙著の名前は一度も登場せず、巻末の参考文献リストを見ても、拙著にまつわる情報が周到に排除されていました。
篠田節子の小説『青の純度』は、『小説すばる』2023年11月号〜2024年11月号で連載され、25年7月に単行本が集英社より発売された。主人公は元美術雑誌の編集者・有沢真由子。バブルの時代にイルカやウミガメが登場する海中画で大衆の心を掴み、いっぽうで美術界からは無視されていた、“終わった画家”であるジャンピエール・ヴァレーズに関する本を制作するため、有沢が画家が暮らすハワイの地を訪れる……というストーリー。かつての日本における熱狂的なヴァレーズ人気や、また再び原画展が開催されるような状況に疑問を抱き、その違和感の正体を探ろうとする。
いっぽうで原田は、2012年に共同企画した「ラッセン展」を皮切りに、ラッセンを改めて見直す研究をこれまで続けてきた。その成果として、編著『ラッセンとは何だったのか?』(フィルムアート社、2013)、単著『とるにたらない美術 ラッセン、心霊写真、レンダリング・ポルノ』(ケンエレブックス、2023)、単著『評伝クリスチャン・ラッセン 日本に愛された画家』(中央公論新社、2023)、編著『ラッセンとは何だったのか?[増補改訂版]』(フィルムアート社、2024)という4冊の本(以下、「ラッセン本」)を刊行している。
『青の純度』の単行本の巻末には「参考文献」のページがあり、複数の書名がリストアップされていることに加え、「他、多くの書籍、ウェブサイトを参考にさせていただきました」との記載はあるものの、原田による「ラッセン本」の書名はいずれも記されていない。
原田は書評のなかで、小説では「『犯罪的な商法と、作品・作家を切り分け、その販売手法に言及した後、ジャンピエール・ヴァレーズの作品そのものを取り上げ、そこにある芸術と大衆性のせめぎ合いについて語る』ことが必要だという旨が繰り返し説かれて」いることについて、「ぼくが共同で企画した『ラッセン展』や一連の『ラッセン本』の中で繰り返し投げ掛けてきた問題意識と一致する」と指摘。
また、「本書の主人公は『ヴァレーズ本』を執筆するためにハワイ島へ渡り、ヴァレーズを探して島中を旅するのですが、これもぼくがラッセン本の執筆のためにハワイに渡って行ったリサーチの旅路と酷似する内容でした」とも書いている。
「この小説は、画家、コーディネーター、ギャラリストなど、アートに携わる人々の倫理観を題材とするものです。しかし本書における著者のふるまいは、書き手としては倫理的とは言い難く、疑問が残る」として、参考文献などに関わる手続き上のあり方に問題提起を行いつつ、「一方(注:篠田)は直木賞なども受賞しているベストセラー作家であり、他方(注:原田)は発行部数で一桁以下も劣るマイナージャンルの書き手であるというこの権力勾配の中で、この状況は搾取的であるように感じられてしまいました」「アートにおける作者の記名性の問題をサスペンスに仕立てる手腕は見事なもので、爽快な読後感のある物語になっていました。/だからこそ、願わくば適切な手続きのもとで記されてほしいものと思いました」とその思いを綴っている。
Tokyo Art Beatが原田に取材したところ、原田が『青の純度』についてSNSなどを通じて知ったのは今年の8月。その後、原田の「ラッセン本」の仕事を知っていた共同通信の担当者から書評の依頼がきたことをきっかけに、本書を読んだ。そのうえで、書評という枠組みで本書を評価しつつ、これまでラッセン研究を続けてきた自らの立場上、本書の倫理的なあり方や手続きに違和感を覚え、許容できないと感じたことについては記しておきたいと考えたという。
書評で指摘されていた類似点に加え、『青の純度』において画家ヴァレーズの作品が「インテリア絵画」と表現されていることについても、自身が「ラッセン本」で意識的に使い始めた「インテリア・アート」という言葉を参照にしているのではないかと原田は言う。「ラッセンやリン・ネルソンなどの海洋画を指す『マリンアート』という言葉は以前から使われていましたが、ラッセンやヒロ・ヤマガタなど一般層への販売に重きを置いた作品群を指す言葉がなかったため、『ラッセン展』(2012)や『ラッセンとは何だったのか?』(2013)以降、『インテリア・アート』という言葉を意識的に使い始めました。この言葉は美術の世界では一般的ではなく、定着させる必要があったため、『美術手帖』のオンライン辞書に「インテリア・アート」という項目の作成を提案し、執筆しました。こうした経緯を鑑みても、小説で偶然にも『インテリア絵画』という言葉が出てきたとは考えにくいと思っています」(原田)。
そのいっぽうで、「文芸書のような創作物において、参考文献の扱いは難しいと思います」と理解を示しつつ、書評での問題提起は、著作権をはじめとする法的な権利を争うものではなく、あくまで倫理的な側面や手続きについて指摘したものだと説明した。
Tokyo Art Beatでは、『青の純度』を発行する集英社に対し、現時点での見解などについて質問状を送付し、取材を申し込んでいる。
【追記:2023年10月23日】
本件について、Tokyo Art Beat編集部は集英社へ質問状を送付していた。しかし締切日時を経過した後に、同社から電話にて「回答をしない」との連絡を受けた。